今日も元気に問答御用

アラサーサラリーマンが「考え方を考えてみる」「考えたことを書き残す」ブログ。ツイッターアカウント @shiroimai

「誰が言ったか」「何を言ったか」 論点の分水嶺

信じたいような怪しいような、良くある台詞

「誰が言ったかではない、何を言ったかが重要だ」
ってフレーズ、あなたも見たこと、聞いたこと、もしかすると言ったことがあるのではないでしょうか。
私なんかだと、「フィクションの世界で、抵抗勢力に阻まれている主人公サイドの若造が唱えている、支持すべき意見」って感覚を持っています。
「そんなこと、前例がない」
「若造が生意気な」

とか言ってる老害を蹴散らして、主人公がその場を支配、一発逆転の策を実行に移すのです。
ヒュー! かっこいい!
ただ、現実世界で考えた場合、発言っていうのはそこまで「発言者から自由になる」ことができるもんなんだろうか、とも思います。
「『内容』と『発言者』どちらが重要か」、一概に言えるのでしょうか。
それとも、「こういうときはこっち、こういうときはあっち」という線引きが、どこかにあるのでしょうか。

論理学の『発言』、文脈の『発言者』

私は、『発言者』と『発言内容』の重要性を決めるのは、どれだけ、その場に議論の材料が出尽くしているかで決まると考えます。
たとえば。
「テーブルの上に、リンゴがある」

テーブルはみんなから見えるところにある、特に遮蔽物はないと思ってください。真っ赤なリンゴが、みんなから見えています。
こんな時「お前は信用ならない奴だ! だからリンゴもないに決まってる!」というシチュエーションは、なかなかないでしょう。
発言者が幻を操るニンジャだとか、日常的に食品サンプルを扱うギョーシャだとか、そんなことでもない限り。

じゃあ、こういうパターンだったら?
テーブルというのはある女の子の家のテーブルで、発言者はその女の子と親しくも何ともない男。
今話しているのは、女の子の自宅から遠く離れたカフェである。
誰も、テーブルの上がどうなっているのか、この場で確認することはできません。
こんなとき、現実的なリアクションは
「いや、お前が知ってる訳ないだろ」か、もしかすると
「なんでそんなこと知ってるの!? キモッ!!」でしょうね。

二つのシチュエーションの違いは、「検証可能性」です。
その場で皆が検証可能な内容であれば、「誰が発言したか」は問題になりません。正しいか、確かめる事ができるのだから確かめればいいのです。
確かめた結果、発言が正しいのであれば、発言は正しいのです。
「しかるべき人物でないと分からない」事だと、「誰が発言したか」は大問題です。

発言者が物を言うとき

つまり、「誰が発言したか」が大事になるシーンは、現実ではイヤと言うほどあります
まず、不確定な未来について話すとき、その場での検証可能性はありません。学説では~とか、過去から推理して~という事はできますし、話題によってはかなりの確実性で予見できるのかもしれません。
しかし、「誰でも」という訳にはいきません。
どう転んでも、ある程度の知識は不可欠です。
プロ野球チームと草野球チームが試合をしたら、まずはプロ野球チームが勝つでしょう。
しかし、それを予測するためには

  • 戦っているのがプロ野球選手と草野球選手であるということ
  • 日本にはプロ野球リーグがあり、その選手はそれはそれは野球が強いこと

等を知らなくてはいけません。または、選手の身のこなしから実力を類推できる程度の、運動への知見でも良いですね。
私の場合、そこらでそんなことが起きていても、プロ選手の顔を知らないので、このようなジャッジはできないでしょう。

だから

の行く末を決めたり予測したりするとき、「大事なのは誰が発言するかじゃない」とは言えないのです。
学説を、これまでの経緯を、人物関係を、投手の肩の強さを知っている人間でないと、確実性の高い予測はできません。
(うわぁ、政治とか野球とか、「うかつに人と話しちゃいけません」って話題ばっかりだ……)

きちんと中身を見るべき時

正々堂々「中身だけで勝負」できるシチュエーションが、議論の場ではかなり限られている事が、ここまででもおわかりいただけたと思います。
でも、「中身だけ」に着目できるシーンは確かにあるはずです。
どんな時でしょうか。

それは例えば、競技としてのディベートの時です。
例えば、世界的に重大と認められた科学的発見の正しさを検証するときです。
ディベートは、「その場の発言」の正しさを競う競技です。
データ→ロジック→結論 の組み合わせを無数に組み立てて、その場限りの正しさを競う場……のはずです。

そして「世界的に重大と認められた発見の正しさを検証するとき」。
その発見が「世界的に重要か」判定する段階では、まだ発見は発見者から自由ではありません。
研究者の時間は有限なのです。
「よし、いっちょ正しいか調べてみよう」と思ってもらうためには、それなりに正しそうだと思われる発言者の人となりが必要です。

しかし、一度「検証」が始まったら。
科学であれば「再現可能性」が必要です。
適切な命題であれば、適切に検証ができるはずなのです。

つまり、冒頭の若造は

完全な予見が不可能な未来について、「大事なのは発言内容だ」と言っても、完全な説得は難しいですね。
未来なんですから。
結局、どうなるか分からないんですから。
彼にできるのは、前例とか権威とかを跳ね返すレベルで理論武装をするとか、結局「お前が言うなら任せよう」と言われるような人物になるか、どちらかなのでしょうね。

これからあなたもネットで、新聞で、または当事者として、無数の「議論」を見ることになるでしょう。
その場はどんな属性の議論なのか、考えてみると冷静になりやすいかもしれません。
(今井士郎)

……「誰が言ったかではなく、何を言ったかだ」とか、定型文を確認しようとしたら、この件、イケダハヤトさんが2年前に扱ってたんですね。
とにかく、私の意見は、こういうことです。

論理トレーニング101題

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