今日も元気に問答御用

アラサーサラリーマンが「考え方を考えてみる」「考えたことを書き残す」ブログ。ツイッターアカウント @shiroimai

盗用と正義と表現の自由と私刑(リンチ)

東京オリンピックのエンブレム問題、ついに「利用停止」が決まりましたね。
個人的に、佐野氏には同情的な感覚でいたのですが、ネット世論が盛り上がりきったところに、言い逃れのできない『盗用』が発覚してしまったら、批判者がエキサイトするのは避けようがありません。
擁護していた人の多数も批判に回り、なにも考えず感情だけで叩くアホは、より調子に乗る。流れを押し返すのは絶望的になりました。

今回の件、佐野氏の行動に一部問題があったのは間違いないようです。
(写真の無断盗用問題とか)
ただ、佐野氏批判の中には「それは別!」と言いたくなるような各種の問題をごっちゃにして語る人(アホ)も多いように感じます。
今回はこの問題に関する「○○と○○は別」という話を列挙してみようと思います。

「気に入らない」のと「不正があった」のは別

今回のバッシングの少なくない勢力が、「俺は元々、あのデザインが気に入らなかったんだ」と考えていた人であるように思います。
気に入らないと感じる自由はあります。気に入らないと表明する自由もあります。
でも、それは「不正があったに違いない」と断定する根拠にはなりません。

「無断盗用が証明された案件がある」と「東京五輪エンブレムは盗用」は別

トートバックの件は、どうやら無断盗用の事実が確定的になったようですね。あとは、エンブレム使用イメージに利用した写真も。
人間、普段の行いで判断されるのは仕方ないことですから、この件で五輪エンブレムの盗用疑惑が強まるのは自然なことです。
でも、「他に盗用の事実があったこと」は、「五輪エンブレム盗用の証拠」ではありません。

「正義を守る」と「『悪者』を叩く」は別

勧善懲悪の物語って、楽しいですよね。
小学館の『まんが 日本の歴史』では、明治期にも流行ったと書いてありました。
実際はもっともっと昔からあるのでしょう。今も有効なフォーマットです。
実際、自分が正義の行いと信じる何かをするのは、気持ちのいいものです。ついでに言えば、「強いもの」の側に立って「弱いものいじめ」をするのは、やっぱり楽しいものです。
でも、実際に「悪者」を「やっつける」のは、「悪者」から何かを守る事にはなりません。
「正義を守る」のは、「悪によって奪われそうな何かを、正当な権利者の下に維持する」ということです。
「『悪』とみなした何かから、無制限に全てを奪い尽くすこと」ではないのです。

「盗用していない可能性がある」と「盗用はあり得ない」は別

佐野さんを擁護する意見の中には「盗用していたとは限らないのではないか」というものもありました。
そういうことを言った結果「そんな物を持ち上げるなんて、最低ですね」と叩かれている人も見ました。
「盗用をしていない可能性」と「盗用をしていないはずだという主張」には、大きな隔たりがあります。
後者の主張を繰り広げる人はそりゃいるでしょうが(むしろ、存在すべきだと思います)、前者と後者の区別はきちんと付けましょう。

「実際に殴る」と「名誉を毀損する」は別。だけど、共通点もあるよ

人が人を殴ったら、「子供の喧嘩」だの「この会社(ブラック企業)ではよくあること」だのと言い訳が並ばない限りは、傷害事件として警察沙汰です。
「殴る」のと「悪口を言う」のは、共通している点があります。
『対象が、幸せに生きる権利を奪っている』ということです。
日本は、法治国家です。
私刑(リンチ)は禁止されています。
それは、なぜでしょうか。

『人権』が大事だからです。
刑罰は、私刑であれ、公による刑であれ、人権を奪うことです。
だから、それは「法に則って」「理性的に」「慎重に」適用されるべきであるとして、私刑は禁止されているのです。
最近のネット私刑はどうでしょうか。
「こいつは気に入らない」とレッテルを貼られた対象は、法も量刑も理性も及ばない、「気分」によって、無制限に幸せを奪われ続けます。
もう一度言います。
人の幸せを奪うことは、単体では「正義」にはなりえません。
「守られるべき、何らかの正当な権利」を保護するための必要分を越えれば、それは単なる「悪」になります。
一人一人が奪っている量が微量すぎて、奪っている当人にはリスクも罪悪感もないから、安心して「悪」を行使できているだけにすぎません。

「佐野のところに、いたずら電話やメールアドレスの不正使用が相次いでいるという。そんなもの、この状況から逃れたいだけの言い訳に決まっている」という言説を見ました。

待ってください。

「我々は、佐野氏のメールアドレスで、pinterest(イメージの盗用元とされているサイトへのアカウント登録を試みた。すると、そのアドレスではもう、アカウントが登録されていたのだ。」
という記事があったじゃないですか。
それが、バッシングの根拠の一つになったタイミングは、確かにあったじゃないですか。

記事は「登録ができなかった」という趣旨でしたが、少なくとも悪意のある、本人以外によるメールアドレスの使用です。
ネットで疎まれているテレビ局や新聞社が、特に憎まれていない人物のメールアドレスでこれをやったら、ネットでは叩かれずに済むでしょうか。

少なくとも

  • ある程度の立場はあるはずのネットメディアが
  • 渦中の人物のメールアドレスの不正使用を試みて
  • 喝采すら受けている

と言う状況はあるわけです。

なんの責任もない匿名の誰かが、アドレスの不正使用を試みているというのも、充分にあり得るはずです。
少なくとも私は、この「報道」の手段に、不快感を覚えました。

物事には、バランスがあります。
大手を振って歩いている悪人には、ネットによる問題提起が必要であることもあるでしょう。
でも、今回は明らかに「罰されるべきバランス」を「バッシングのバランス」が越えています。

もうちょっと、落ち着いて見てみましょうよ。
もう、外野が叩かなくても良いじゃありませんか。
(今井四郎)
Amazonアソシエイト

弁護士のくず第二審 4―九頭 (ビッグコミックス)

弁護士のくず第二審 4―九頭 (ビッグコミックス)

分かりやすい著作権問題