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今日も元気に問答御用

アラサーサラリーマンが「考え方を考えてみる」「考えたことを書き残す」ブログ。ツイッターアカウント @shiroimai

30過ぎたけど元本不足だからもうちょっと何とかしようと足掻く話

ネットの話題

はてなの人気エントリに、『「30過ぎたら利息で暮らせ」を意識しないと人生が詰んでいく』というのがあがってました。

金にせよスキルにせよ人脈にせよ、「30過ぎてから急上昇」なんてあり得ないんだから、それまでに『元本』となるものを充分に貯めておきなさい、それでこそ、その後のキャリアパスワークライフバランスや家庭の構築がうまく行くんだよ、という記事でした。

20代の人は、それを信じて動いていいと思います。
少なくとも、あらゆる『元本』はあればあるだけいいですし、歳を食ってからじゃスキルやキャリアの『元本』を貯めていく難易度が上がるのも本当でしょうから。
『元本』を貯めようとがんばるのはいいことです。

でもね。
この話が全ての労働者に当てはまるかというと、話は別です。

いや、真実がどうかという話じゃないんです。
もしかすると筆者の言うとおり、30過ぎて何の『元本』も貯まってない人は、人生詰んでるのかもしれません。

しかし。しかしですよ?
30過ぎて『元本』と呼べるようなものが手元にないとして。
「ああ、詰んだな」で人生終われるわけじゃないじゃないですか。
「負けました」「ありません」で誰にも迷惑かけずに終われるなら、とっくに私は人生終わらせてます。
幸い、私が人生を終わらせたら、親くらいは本当に悲しんでくれるでしょう。
人生を終わらせた周囲では、私のことを知ってる人も知らない人も、いろいろと嫌な思いをすることでしょう。
片づけさせられる人とか、遅れた電車に巻き込まれる人とか、たまたま前日に会った人とか、職場で故・私の仕事を引き継がされてバッドな気持ちになる人とか。
なんで止められなかったんだと自分を責める善人も、もしかしたらいるかもしれません。

今この瞬間、自ら人生を終わらせたいという願望はありませんが、日々そういう衝動にかられることはそれなりにあります。
そんなとき、「いろんな人が迷惑する」という考えが私を「終わらせて」くれませんでした。
そこが拮抗を超えてくれてる限り、「詰んだ」ところで、投げられないんですよ。人生は。

私は入社二年目で、パワハラも過労もないのに、鬱をやりました。
いわゆる「ホワイト」な環境なのに。これでへばるんじゃ、どうするんだと本気で焦りました。
自分の能力(あまり高くない)と、「社会人たる者、仕事ができなくてはいけない」という強迫観念とのギャップのせいだったと思っています。
休職したりはしませんでしたが、上司は私を使いづらく感じたでしょうし、私もその後は「能力以上を自分に求めないこと」で、能力への不満を抑えて折り合いをつけてきました。

30になって、私の業務遂行能力への不満が、自他ともに噴出しつつあります。
やべ。
なんとか「成長」って奴をしないと、自信(クビにならないという安心感とか、貢献しているという達成感とか)が付かず、常にビクビクしながら仕事をする羽目になる。
下手すると「仕事をする羽目」から「解放」されないとも限りません。

私の『元本』は?
学歴は、自慢になります。
しかし、学校を出てからの8年で磨いてきた物に、「人に誇れる業務能力」はまだ見あたりません。

最近私の上司となった係長は、私の能力への落胆表明を欠かしません。
私が話しかけると、6割方ため息で話がスタートします。
育てる側としてそれはどうなのよ、と思わないでもありませんが、30にもなって「育ててもらう気」しかないというのも、なかなかぞっとしない話です。
この人と、まともに、まっとうに、対等に話をできるようにしなくては、というのが、今の私の目標であり、焦りです。

30歳までに『元本』を貯める。
すばらしいことです。
できる人は、是非やるべきです。

では、30を過ぎてしまったら?

It is never too late to mend.
過ちを正すのに、遅すぎるということはない。(諺)

過ちては改むるに、憚ることなかれ。(孔子)

人間、いつだって「これから」とか「今」頑張るしかないのです。
「今」決意しても後悔しても、「これまで」頑張ることはできないのです。

不本意ながら『元本』が不足しているなら、30を過ぎてようが50を過ぎてようが、『元本』を増やせるようにベストを尽くしましょうよ。
そして可能なら、『元本』で悠々自適とか、『元本』のおかげで生活がだいぶ楽になるとかいう『上がり』を目指してみましょうよ。
(今井四郎)

Arms (16) (少年サンデーコミックススペシャル)

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時間のうち、人がいじれるものはいつだって、ほんの一瞬通り過ぎる『今』の連続でしかないのです。
訪れる姿は羊のようで、すれ違う姿は鷹のよう、過ぎ去ってからは石のように干渉を許さない時間。
生きていくには、こいつらとなんとか付き合うしかないのです。