今日も元気に問答御用

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あけましておめでとうございます ~除夜の鐘と甘酒と~

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

なんだか、そのまま眠るのがもったいないような心持ちなので、先ほど帰宅する際の様子を書き記してから眠ることにします。
ほぼ日記であり、特に主題も意味もありません。
ご容赦願います。

日付が変更される、年が明ける10分ほど前、私は友人たちとの飲みの場を辞して、終電に乗るべく駅へ向かいました。
そして電車の中で年を越し、30分後に実家の最寄り駅へたどり着いていました。

駅からの道を歩いていると、2つの方角から、除夜の鐘が聞こえてきます。
「心が洗われる」という表現がなかなかふさわしい、心地よい音でした。
例年は、飲みの席で年を越し、結果として終電では帰宅できていなかったので、このような場所でしんみりと鐘の音を聞いたことはありません。

踏切前の駐車場で、構おうとした三毛猫を逃げられた私は、一番近い鐘の音のあたりへ寄り道してみることにしました。

駅と実家の間にある寺。
実家から一番よく聞こえる除夜の鐘は、ここのものです。
除夜の鐘は、小学生時代に一度だけつきにいったことがありました。
それはここからもう少し離れた、また別の寺。
「0時を過ぎて起きている」だなんてとんでもないイベントだった頃の話です。

時刻は1時に近くなってきたあたりで、鐘にはまだ、数人の行列ができていました。
待ち時間にして3分。
煩悩を洗い流すという鐘を、20年ぶりに自分の手で鳴らすことができました。

実際のところ、鐘の音は近くで聞くのではなく、少し離れたところから聞く方が、風情はありますね。
先刻の自分のような「遠くから聞く人間」に届けと力を込めてついた鐘は、やや「騒がしい」くらいに感じられるものでした。

鐘の前に据え付けられた賽銭箱に小銭を入れ、甘酒の振る舞いを受け取った私は、そのまま帰路につきました。
参拝客の鐘つきとしては、私が最後尾から2人目。
私が境内を出る頃には、鐘の音は参拝客の音色から、お坊さんの音色に変わっていたはずです。

門を出る。
わずかに歩く。
甘酒をすする。
鐘が聞こえる。

ほら、やっぱり、このくらい離れた方がきれいな音だ。
空を見上げ、名も知らない「満月よりかなり欠けた月」が綺麗だなぁととぼとぼ歩いていると、なんだか詩的な気分にもなろうというものです。

虚空に「月が綺麗ですね」とぼやきながら、帰路につきました。
あの心地よさは、あの時の私だけで独り占めするのがもったいないように思えて、わざわざこのような文章を書いてしまいました。
たとえ読者の方の誰にも伝わらなくても、未来の私があの気持ちを思い出すのに役立つかもしれません。

どうか将来の私が、この文章を読んで「恥ずかしい」のたうち回ることがありませんように。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。
(今井士郎)