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今日も元気に問答御用

アラサーサラリーマンが「考え方を考えてみる」「考えたことを書き残す」ブログ。ツイッターアカウント @shiroimai

「定価」を支払って「マニュアル対応」を批判する乞食たち

定期的な気もする「マニュアル対応」批判

タレントの梅沢登美男氏が、ファーストフード店やコンビニエンスストア店員の「マニュアル対応」を批判した、という記事を、ここ数日で目にしました。
坂上忍氏などが、これに同調したとか。

今回は、その件についてお話ししたいと思います。

「マニュアル批判」に対する、今井の見解

「マニュアル批判」の実例

今回話題になっているのは、以下のようなケースです。

  • ファーストフード店で、高齢の客が「ハンバーガー40個」を注文したところ、店員が「店内でお召し上がりですか」と聞いた。客は、「店内で食べきれる訳がないだろう」と憤慨した。
  • コンビニエンスストアで、高齢の客がタバコを購入しようとしたところ、「20歳以上である」ことを示すボタンを押すよう要求された。どう考えても20歳未満の訳がないだろうと憤慨した。

率直な感想

馬鹿馬鹿しいというのが、今回の「マニュアル対応批判」に対する私の見解です。

マニュアル対応をした側に問題はナシ。批判側の人格に問題があるでしょう。

価格の根拠とは

今回の話題を語る為には、「商品の価格はどのようにして決まるか」という点にも触れざるを得ません。

品物の価格とは、「純粋な、品物の価値」で決まる訳ではありません。
仮に「純粋な品物の価値」で価格が決まるのであれば、ドン・キホーテより価格の高いコンビニで物が売れるはずがありません。

価格というのは、販売するための原価販売形態の付加価値によって変動するのです。

たとえば、富士山の頂上で缶ジュースを売る為には、町中で売るよりも断然の手間がかかります。
トラックで運び込むこともできず、険しい立地の販売所に、わざわざ人が足で運び込む必要があるからです。だから、缶ジュース1本が400円だったりします。

では、ディスカウントストアより価格の高いコンビニで、飲み物が売れるのはなぜでしょうか?
それは、いつでも開店していて、街中にあるコンビニで物を買えることの利便性に価値があるからです。

マニュアル外の対応をできることも「価値」である

先ほど、販売形態の付加価値が、価格の根拠の一つであると書きました。
この「販売形態の付加価値」には、店員の能力も関わってきます。

販売する商品の専門知識を持っている店員で売場を固めるとしたら、または、客との駆け引きに長けた店員で売場を満たせるならば、「マニュアル対応」以外の対応も可能です。
ですが、そのような店員の品質を「保証」するには、それ相応のコストがかかります。

「いくらの定価で商品を提供し」「いくらで現場担当者を雇用し」「どの程度のサービスを提供するか」というのを、小売店ではバランスさせているのです。

コンビニ店員やファーストフード店員の負う「義務」とは?

一般的に、コンビニ店員やファーストフード店員の受けとる時給は、最低賃金に限りなく近い水準と思われます。
そのような人の義務として、どの程度を期待すべきか?

以下を満たせていれば、充分でしょう。

  • マニュアル通りに接客ができている
  • 顧客への誠意がある(失礼なことをしないように心がけている)

タバコを売るときに「20歳以上だと意思表示してください」と要求することや、大量の商品を買う客に「こちらでお召し上がりですか?」と聞くことは、充分にその範疇です。

「自分に都合のいいようにしろ」と強要する乞食たち

あなたの「当たり前」は、本当に「当たり前」ですか?

マニュアル批判者は、マニュアル対応をした店員をこのように批判します。

  • 40個ものハンバーガーを、自分のような人間が店内で食べられる訳がない。当たり前だろう。
  • 自分の外見は明らかに20歳を超えている。20歳以上なのは当たり前だろう。

……まぁ、だいたいはそうだろうと思います。
40個のハンバーガーを1人で食べられる老人はそうはいないでしょうし、老人の見た目で20歳未満の人も、そうはいないでしょう。

でも、複数人でファーストフード店に来て、代表者だけがレジに来るなんていうことは、よくありますよね?
それに、1人で40個のハンバーガーを、店内で食べていく人がいないと、彼は保証してくれるのでしょうか。

梅沢氏は店員の女の子に「40個のハンバーガーを食べられると思うなら、自分で食べて見せろ」と恫喝したそうです。
私はこのエピソードに、一番腹を立てています。
店員には、客と同じニーズを持っている義務などありません。
自分が大食いでなくたって、大食いの客が来たら、食事を提供するのが仕事です。
もし、「自分が食べきれる量」しか客に出してはいけないのであれば、小食な人に飲食店の店員はできませんね。

タバコの話にしたって、マニュアルに頼ることを否定するほどの、人間的な思考力と思いやりをもって想像すれば、「一律で年齢確認をせず、『微妙な』外見の客にだけ年齢認証を求めたら、どんなに感情的なトラブルが発生するか」分かるはずなのです。

「マニュアルけしからん」の大半は、タカり根性である

ここまで見てきたとおり、今回のようなケースで「マニュアル対応けしからん」と批判する人たちは、

  • 価格の根拠になっている以上のサービス水準を
  • 自分の都合のいいように

要求する人たちなのです。

要するに、金も払っていない分のサービスをしろと強要・恫喝する、強請(ゆすり)かタカり、はたまた乞食のメンタリティの持ち主と言うことです。

「マニュアルに従わない、人間的な」対応を望まれるのであれば、「マニュアルの水準にも満たない、愚かな対応」も受け入れるべきです。
また、自分が「定価」という「マニュアル通り」の支払いすらしないのも片腹痛い。
「決まりきった対応が非人間的である」というなら、なんで『定価』という「決まりきった支払い」しかしないのでしょう?
もっと「人間的」に「気を利かせ」て、「質の高いサービスにはその分のチップを払う」くらいの度量は見せましょうよ?
まさか、「定価を払えばよいと『決まっている』」なんて『人間味のない』ことは言いませんよねぇ?

私の主張は、「マニュアルけしからん」派の人たちには届かないでしょう。
しかし、この記事を、マニュアル対応しているバイトさんが読んだのならば、こう言いたい。
「変な客が来たときの自衛に、この記事は直接の役には立たないかもしれません」
「でも、あなたがマニュアル分の対応を果たせているのなら、自身の誇りに恥じる必要は、全くないのですよ」
と。
(今井士郎)