『華胥の幽夢』とは?
ここ数回、衆議院総選挙モードの記事が続いています。
今回は、小説から学ぶ、政治に対する心構えということで、小野不由美の小説『十二国記』シリーズから、短編集『華胥の幽夢』収録『華胥』をご紹介します。
- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/09/05
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政治や、そうでなくとも意見対立に直面したとき、是非頭に入れておきたい名文句がある作品です。
十二国記とは
長編ホラー小説『屍鬼(しき)』や、『ゴーストハント』シリーズ等の代表作がある小説家、小野不由美さんの小説シリーズです。
- 作者: 小野不由美
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/01/30
- メディア: 文庫
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- 作者: 小野不由美,藤崎竜
- 出版社/メーカー: 集英社
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- 作者: 小野不由美
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なお個人的に、小野不由美作品で一番のお気に入りは『東亰異聞(とうけいいぶん)』です。一冊でまとまってるし。ラストが素晴らしいし。
- 作者: 小野不由美
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/04/26
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古代中国のようなテイストの文化を持つ東洋ファンタジー世界『常世(とこよ)』にある「十二の国」の物語が、『十二国記』シリーズです。
神獣である『麒麟』が『王』を選び、王となった人間は仙人として何百年でも国を治める世界。
王が優れていれば半永久的に国は栄え、王が道を失えば国は天災や妖魔の跋扈で荒廃し、ついには王と麒麟も天命を失って命を落とす、そんな世界の物語。
日本の女子高生がそちらの世界に拉致されて陰鬱な大冒険をしたり、
- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/06/27
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ショタかわいい麒麟さんの成長を見守ったり
風の海迷宮の岸―十二国記 (新潮文庫 お 37-54 十二国記)
- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 新潮社
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なんかよく分からない日本での怪事件をハラハラしながら見守ったりするお話です。
- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 新潮社
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高校時代の友人曰く「説教臭くて、なんかヤだ」。
そう感じる人がいるのも頷ける作品群です。
今回は短編の紹介ですが、そんな作品群の中でも特に説教臭い、この作品です。
なお、同短編について盛大にネタバレを行いますので、同作を読もうと思った方は、読んでからまた来てください。
『華胥』あらすじ
十二国の南西に位置する「才(さい)」の国は、王朝存続の危機に瀕していた。麒麟が失道*1に陥っていたのだ。 才国の宝である「華胥華朶(かしょかだ)」は、「国のあるべき姿」を使用者に見せる力を持つと言われていた。才の国の王、采(さい)王、砥尚(ししょう)は決して私欲に流されることなく、華胥華朶の見せる国を目指して、この二十年間の治世を行ってきたというのに。砥尚の夢見る国の姿と実際の才の姿が近付くことは、一度としてなかったのであった。
なぜなら、華胥華朶の見せる夢は、絶対的な「あるべき国の姿」ではなく、使用者の抱く「理想的な国の姿」であるからだ。
乱れた先王の治世から、高い理想を持って行動していた砥尚。彼は王となってからも「一片の汚れもない国」を目指すべきと考え、華胥華朶によって己の理想が絶対の理想であると確信を深めてきたのだ。
そして、華胥華朶の真の力に気付いた砥尚は、自らの国づくりが誤っていたことを認め、王の座をより優れた者に譲るため、自ら命を絶つのであった。
辞世の言葉として、「責難(せきなん)は成事(せいじ)にあらず」と言い遺して。
責難は成事にあらず
言葉の意味と文脈
「責難は成事にあらず」を書き下すと、「難を責めるは事を成すにあらず」となります。
口語的に言えば「『文句を言うこと』は、『なにかを成し遂げること』ではないよ」といった感じでしょうか。
劇中の砥尚は、とかく「完璧な国」を理想とし、目指しました。
街はどこもかしこも清潔で、税は軽く行政は行き届き、国民は全員が謹厳実直で……。
しかし、そのような国ができるわけはありませんでした。
税が軽ければ行政は行き届きません。国民が全員「勤勉で善い人」な訳はありません。
砥尚は「完璧であらねば」と考えて「難」をつぶすことに腐心したあまり、国づくりのバランスを欠いて、最終的には国を乱す結果となってしまったのです。
そして、自分のしてきたことは「責難」でしかなかったと悟って命を絶つのです。
実際の政治でも
この考えは、実際の政治を見る上でも、非常に有益であると考えています。
ここ数回の記事で強調してきたとおり、完璧な政治というのは、原理的にあり得ないのです。文句を付けようと思ったら、どんな名政治家相手でも、いくらでも「問題」を発見することは可能なはずです。
だから、政治家には、「自分だったら、どうするのか」語って欲しいのです。
……私の言いたいことを言いましょう。
「アベ政治を許さない」は、許せない
安倍総理の政治に、問題はあるでしょう。
憲法改正議論については、自民党草案はお粗末で、到底賛成できないと感じています。
経済だって、株価は上がりましたが実質賃金は下がっているという話もありますし、全方位について賞賛できるわけではありません。
しかし、対抗馬の言い分が、「安倍総理のやり方に問題がある」だけであれば、私は対抗馬に投票はできないのです。
そこには、「だから、自分だったら、こうする」がないからです。
あるいは、「自分だったら、こうする」と主張していても、実現の説得力を持たせられていないからです。
「アベ政治を、許さない」というスローガンは正に「責難」に軸足を置いたスローガンですし、「12のゼロ」も、現状の問題を「どうやって解決するか(政事)」を棚上げした上で「12も問題がありますよね? イヤですよね?(責難)」という姿勢を全面に出しているので、「ヤバい」と記事にしました。
今の私は、与党支持です。 しかし、与党を圧倒的多数派にすることにも危機感を覚えています。
今回の記事は、頼むから、投票したくなる野党が出現してくれという、心の叫びと捉えていただければ、概ね合っているかと思います。
(今井士郎)
- 作者: 小野不由美,山田章博
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