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結婚願望と内心の自由とジェンダー論

なんか、購読しているヒトデさんのところで、こんなエントリーがありました。


hitode99.hatenablog.com

その記事をタネに書く記事ではありますが、ちょっと真面目な話。

ヒトデさんのところのような軽妙なノリはありませんので、そこんところご了承ください。


最近の身の回り(ただしネット界隈)の話

最近、ジェンダー論系の意見が、よくtwitterのタイムラインに流れてくるんですよね。

まぁ、そういうところに敏感なとある女性がTLにいるからというのも非常に大きいのですが。

ご自分がバリバリ働いているのもあり、「母親が働いてると子供がかわいそう? いつまでそんなこと言ってんの!」「一人で自分の食事の面倒も見られないで、何が大人だ、父親だ」って考え方の人です。



そんな中でのヒトデさんの台詞

ただ、男としては結婚したなら家に帰ったら料理を作ってくれて~ みたいなのはやっぱり理想だよね。うん、それわかる

これ。
本人はあくまでも個人の意見として書いているし、「こうでなければいけない」と主張するのでもなければ、特段偏った意見とも思えません。
ただ、「ああ、あの女性が読んだら憤慨しそうだな」とは思いました。

今の時代の「いわゆる正しさ」と「個々人の内心」

今の時代、社会的な話としては、「男女同権」が「正しい」とされていると思います。
女は家庭に、男は仕事に、というのはあくまで分業の一形態であって、そんなものだけを全肯定するのは狭量である、と。
一方で、言論・表現の自由内心の自由も、全面的に認められています。
「女は家庭に入るのが正しいのだ。」と考える自由や発言する自由は、誰しもあります。
ここまで考えていて、ふと思いました。

内心の自由と社会正義が対立するとき、落とし所はどうやって決めるのだろう?

家庭だ仕事だ、の話はまぁ、いいですよ。いいことにしましょう。
ただ、もっと過激な話。
在日朝鮮人は、全員殺してしまうべきだ
とか
安倍総理は日本を戦争に巻き込みそうな悪の首相だ。腹を切って死ぬべきだ
とか。
(実際目にする過激な意見より、もうちょっと悪質にしています。不快に思われた方はすみません)

こういう、見た人をあまりにも不快にするような、過激な意見も「内心」「言論」の範囲では認められているはずです。

社会正義とは異なる「内心」を、相当数の人たちが持っている社会。
それだと、「正義」の実現は遠いのだろうな、と感じました。

それは例えば、ヘイトスピーチの緩和であっても、男女同権の実現であっても。
かといって、内心の自由を縛り付けるのも、正義からはまた遠ざかることでしょうから、難しいものです。

(私が「男として、女性に家事をしてもらいたい」かって?
いえ、男とか女とか関係ありませんよ。
家事をこなしつつ家にお金を入れて、養って欲しいですね。
(今井四郎)

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お笑いジェンダー論

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