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『「正しさ」の商人』風評加害に直結する『差別』構造

『「正しさ」の商人』を読みました

先月、林智裕著『「正しさ」の商人』を読みました。

東日本震災を起点に発生した、原発事故関連の「風評加害」を主題とした本です。
最後に挙げる不満点はあるのですが、多くの「言論人」を評価する上で非常に重要な観点を提示した、良い本だと感じましたので、本記事では、読後に考えたことをまとめます。

「風評加害」とは

風評被害」というフレーズは、多くの人が聞いたことのある言葉だと思います。
「人気商売・客商売をしている主体が、実態を伴わない悪評を流布されることにより、顧客喪失等の経済的損害を受ける被害」とでも定義できるでしょうか。

風評被害」はWikipediaやgoo辞書等のWeb辞書にも項目が設けられた言葉ですが、「風評加害」という言葉はあまり語られません。
しかし、「実態を伴わない悪評を受けること」によって経済的打撃を受けている人がいるのであれば、「実態を伴わない悪評」を「生み出している人」「伝達している人」という「風評加害者」が絶対にいるはずです。
本書は、そういった「風評加害者」にスポットを当てる本です。

風評加害と「不安」

風評加害者は、通常「不安を感じ、それを流布・伝達することは悪意のない行為であり、叱責されるべきものではない」という扱いをされがちです。
しかし、科学的知見に基づかない「不安」の表明が全面的に支持されるべき、という価値観を是とするのであれば、ありとあらゆる『差別』が肯定されてしまいます。

  • 女性を男性と同等の給与水準としたら、寿退社や産休・育休取得によって企業が傾く、ひいては日本経済が衰退するという「不安」
  • 女性と男性を平等にしたら、権力関係が変化して荒れた家庭が増加するという「不安」
  • LGBTQなどという「気持ち悪い」性的指向を持つ人々を社会が受容することへの「不安」
  • ハンセン病患者やAIDS患者と生活を共にすると、病気がうつるのではないかという「不安」
  • 外国人労働者を社会に受け入れたら、犯罪が増えるのではないかという「不安」

日本社会で身近な差別には、他にも無数のバリエーションがあります。
こういった「差別」と評価される考え方は、差別者側の「不安」を伴うものです。
そして、「公平な社会」を目指す上では、以下いずれかの態度によって、「差別」は否定されなければなりません。

  • 差別者の不安は、実現すると立証されていないものである。よって、その差別は不当である
  • 差別者の不安は、残念ながら実現しうるものである。しかし差別は是認されない。不安が実現する可能性を許容してでも、「差別」は否定されなければならない

「その不安は実現しうると立証されている。よって、一定の区別ないし差別は許容されざるを得ない」という考え方はありえます。
しかし、「その不安は実現しうると立証されていない。しかし、不安である以上は差別を許容すべきである」という主張は、どストレートの差別です。

「任意の存在Aによる被害は『確認されていない』という科学的知見があるという。しかし、【未来永劫、悪影響が発生しないとは立証されていない。故にAは差別されてしかるべきである】」式の主張をする人も多くいます。
しかし残念ながら、そんなことを言い出したらありとあらゆる行動や現象が「A」に当てはまってしまうのです。

  • 任意の食べ物Aによる健康被害が未来永劫起こらないとは証明されていない
  • 任意のスポーツAによる健康被害が未来永劫起こらないとは証明されていない
  • 任意の宗教行事Aによる健康被害が未来永劫起こらないとは証明されていない
  • 任意の政治信条Aによる社会への被害が未来永劫起こらないとは証明されていない
  • 任意の発言Aによる社会への被害が未来永劫起こらないとは証明されていない

「任意のA」には「自民党政治」でも「りっけん政治」でも「萌え絵」でも「フェミニズム」でも「ポリティカリーコレクトネス」でも「表現の自由」でも、なんでも代入可能です。
「今のところ、被害があるとは立証されていないこと」は山ほどありますが、「未来永劫に渡って、あらゆる悪影響が発生しないと立証されていること」なんて皆無です。

【未来永劫、悪影響が発生しないとは立証されていない。故にAは差別されてしかるべきである】という理論を主張したい方は、自身が好む何かをAに当てはめて、「未来永劫、影響が発生しないと立証されている」か考えてみてください。
何かについて「未来永劫、悪影響が発生しないと立証されている」と主張している人がいるとしたら、すごく乱暴な決めつけをしているはずです。

あらゆる「不安」を無視するべきだ、とは言いません。しかし、「不安」を表明することであらゆる言説が肯定・許容されると考える人々は、「自分の不安は、他者のあらゆる権利より優先される」と考えている特権的思考や差別意識の持ち主でしかありません。

「風評加害が懸念される」という『報道』の大いなる欺瞞

風評被害が懸念される(から、○○を行うべきではない)」という表現がよく見られます。
しかし、報道や行政組織がこれを言うのは、怠慢以外の何者でもありません。

「○○による風評被害が懸念される」を言い換えると、こうなります。

  • ○○による健康被害etcは、科学的には存在しないものとされる。
  • ○○による健康被害etcが存在すると、誤った認識をしている人が多数いる。
  • ○○を行うことで、誤った認識をしている人が引き起こす、なんら責任がない人に向けた、経済面その他の被害発生が懸念される。

ここに「だから、○○を行うべきではない」が追加されると、こうなります。

  • だから、誤った認識をしている人に配慮して、○○は行わないべきだ。
  • それにより発生する損失は、○○実施を希望する当事者に負担させるべきだ。当事者の自由の制限はやむを得ない。

いやしくも「報道機関」が、「科学的に誤った認識により、不当な被害を被る人が出そうだね」「被害を回避するためには、関係者の自由を制限しよう」で話を終わらせてしまうのが、怠慢でなくてなんなのでしょうか。
「誤った認識をしている人が多数いる」と認めるのであれば*1、「風評被害が懸念される」という情報以上に「それは風評に過ぎない、誤った認識である」ことを読者に伝える努力が必要でしょう。
その程度の責任も負わないで、何が社会の木鐸か。

「『風評被害が懸念される』で済ませる報道」は、報道の怠慢、不誠実、金儲け主義、真実より「敵味方」優先の姿勢、といった醜悪なものを詰め込んだ存在です。

報道機関が、自身は判断する主体として矢面に立たず、「○○による風評被害が懸念される」と表明して、読者に「○○は悪いものなんだなぁ」とふんわりした印象を与え続ける行為は、間違いなく風評加害です。

「風評加害」の記録として

報道機関が「風評被害が懸念される」と報道することは「風評加害」であると断じましたが、もちろん風評加害の類型はこれだけではありません。

「科学的に誤った認識に基づいて悪評を拡散し、経済面その他の不利益を与えること」が風評加害です。

拡散力があれば大規模な風評加害を行えてしまいますし、特筆すべき拡散力がなくても、個人レベルの「貢献(=加害)」はできてしまいます。

こういった「風評加害者」の代表例を書籍の形で集約したのが、本書『「正しさ」の商人』です。
報道機関や各種政治家*2が、誤った情報に基づく不用意な発言の責任を取ることは滅多にありません。
豊洲市場の地下水汚染問題が顕著ですよね。

豊洲市場の地下水は汚染されている」
豊洲市場に移転したら健康被害が出るぞ」
「移転が決まるまでには不正があったに違いない」
というキャンペーンが政治家・報道によって大々的に張られましたが、結局「汚染を浄化」することなどなく豊洲市場の稼働は開始されてしまいました。

豊洲市場の汚染*3が事実であったなら、現在の豊洲市場利用に口をつぐんでいる報道機関や政治家は、市民の健康を見殺しにしている加害者です。
汚染が事実でなかったなら、移転反対キャンペーンに荷担してなんら責任を取っていない報道機関や政治家は、経済的に甚大な被害を市民に与えた加害者です。

私は後者と判断しています。

このように、「風評加害」に適切な罰が下されることは滅多にありません。
そうであればこそ、罰されない「不誠実・加害的な発言」を「記録」することが、言論において重要な(せめてもの)対抗措置となるのです。

「風評加害」的な発言の数々を記録したことには、重要な価値があります。

『「正しさ」の商人』の議論漏れ 「正確な情報」のヒントを考える

上記の通り、本書には記録としての重要な価値があるのですが、一方で重要な欠陥もあります。

「正しい」情報とはなにかの定義に、あまり紙幅が割かれていない点です。
この「正しい」とは、書名にもなっている皮肉たっぷりの「正しさ(正義)」ではなく、著者が信用する類いの情報の「正しさ(正確さ)」です。

著者は福島に関する無責任・悪意の混じった言説を「『正しい情報』と食い違う『誤った言説』」と切って捨てています。
しかし、著者の信用するデータがどうして信用に値すると言えるのか、特に説明はなかった、あるいはほとんど強調されていないように見えました。

これでは、著者と同じような情報源を「信用に値する」と評価し、著者と同じような情報源を「信用に値しない」と評価している読者しか、著者の主張に同意できません。

「あの科学機関の提示するデータは正しいのだから、福島で原発による健康被害はないのだ」という意見と「あの政治家の提示するデータは正しいのだから、福島では原発による健康被害が出まくっているのだ」という意見を戦わせるだけでは、平行線から脱することができません。

「正しい」言説とは何か、判断するためのヒントを提示して、この記事を終わろうと思います。

自己矛盾していない

ある人の主張が矛盾しているかどうかは、データに当たらなくても検証可能です。

「矛盾がない(見つからない)」から「正しい」と断ずるのは非常に危険ですが、
「矛盾がある」なら「正しくない」と判断してよいでしょう。

「科学的、理性的に活動している」という政治家が、科学的知見そっちのけで「不安に寄り添い、科学的知見に食い違う形で、誰かに我慢を強いる」なら、その行動は矛盾しています。

「法的根拠がないから○○をしてはいけない」と「法に縛られず、柔軟に○○をしなければならない」を、同程度の重要度を持つ○○について言う政治家がいるなら、その発言は矛盾しています。

信用できる主体が発表している

「誰の発言か」というのは、情報が信用できるかの大事な根拠になります。本当は、誰の発言かなんて情報は取っ払って個々の情報の正しさを検証できるのが理想ですから、「残念ながら」と頭につけたくなりますが。

発言の主体者によって信用できるかを見極めるのは、敵味方思考にはまって、公平な判断をできなくなるリスクがあります。
しかし、実際に全てのデータの正しさを個別に検証するのは不可能ですから、ある程度は「誰の発言か」で判定せざるを得ません。

こちらも過信は禁物ですが、「デタラメばかり言っている人の主張は信用しないで、他の情報より長めに保留しておく」くらいの使い方であれば、比較的、害はないでしょう。

「正しい情報」と矛盾していない

物事を考える上で、あなたが「正しい」とみなした情報があるはずです。
その情報と矛盾する情報が出てきたならば、新情報か「正しいとみなした情報」のどちらかが間違っています。
あるいは、情報が互いに「矛盾している」という、あなたの判断が間違っています。

既存の情報と新情報、どちらの方がより正しそうか、検証しましょう。

ここまで気軽に挙げてきてしまった「検証」「矛盾」という概念も、語ればいくらでも時間と文字数が必要なポイントですので、本記事での取り扱いは断念します。

人は簡単に間違えますし、騙されます。
正確な情報に基づいて正確な判断を下していくためには、せいぜい個々人が「注意して、頑張る」しかありません。残念ながら。

おわりに

『「正しさ」の商人』は、無責任な発言が支持され、拡散され、実害を生みがちな現代ネット社会において、重要な論点を提供してくれる本であり、オススメです。
少しでも「パッと見の薄っぺらな『正しさ』」でなく「冷静な検証」を頼りにする人が増えれば、世の中も良くなると思いますし。

報道機関の無責任発言、一般人がなんの抵抗もできない事実に暗澹たる気持ちになるのも請け合いですが……。読むのはちょっと気持ちに余裕のある方々の方が良いかもしれませんね。
(今井士郎)

今回のメインテーマとした本

「正確に」言説を判断するための参考図書

*1:風評被害」という言葉を選ぶ時点で、風評被害を与える側の認識が「誤っている」という意味は内包しています。

*2:ごくごく一部の与党議員を除く。

*3:この場合は、「取引された食料品による健康被害が発生する程度の汚染」。