今日も元気に問答御用

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人間への興味が薄いという問題

前置き

今回は、セルフカウンセリングのような書き散らし。
結論もないし、精密性や事実としての整合性がぐちゃぐちゃでも気にしません。

本文

「話相手に興味をあまり持っていないでしょう?」と、割と短期間に複数回言われました。
ショックを受けたかというと、そこまでではありません。まぁ、そういうところはあるよなと自覚しています。

ただし、「真人間の擬態」はできていないのだなと、多少の落胆はありました。

根はおしゃべりです。
勝手に話していいと言われれば、「時間を埋める」ことは苦ではありません。
しかし、「楽しく雑談しろ」と言われると、はっきり苦手であると自覚しています。

お互いに、終着点も目標もなく話す。
目的は情報交換ではなく、「楽しい時間を過ごすこと」それ自体。

自分が話しすぎてもいけないし、相手に話すことを強要してもいけない。
相手の話が広がるように質問をすべきであるし、質問はよそよそしすぎず、馴れ馴れしすぎない、距離感を踏まえた適切なものでなくてはならない。

なんて高度なことを、皆さん当たり前にやっているんだ。

これでも、学生時代なんかに比べれば相当にマシにはなっているのですが、よほど趣味が合う相手以外との「雑談」は、かなりぎこちないのではないかと思います。

そういう我が身を省みると、私の興味は「ヒト」ではなくて「モノ」や「コト」なんだろうな、と思い当たります。
物語は好きです。勉強は、まぁ多少は好きです。
「コト」とか、「情報」が好き、というが、私の心の傾向なのではないかと思います。
こちらのアカウントを運用しているのも、「議論」やら「理屈」といった類の情報をこねくりまわすのが目的ですし。

その分、他者の「人間性」に愛着を持ち、興味を持つという心の動きが、周囲より弱いように感じられるのです。
人に嫌われるのは、人一倍怖がっている気もするのですけどね?
私の心は、どんな性質を持っているのでしょうね?
薄情ではあって、自覚がある分、嫌われて排斥されることに恐れを感じているのでしょうか。

オタクをやっているし、数多の物語に触れてきました。
登場人物の心情の動きで心を動かされた経験も、たくさんしてきているはずです。
ただし、特に女性のオタクによくみられるような「キャラ同士の関係性に萌える」的な心の動きは、かなり弱いような気がします。

最悪、「他人に興味がない人間でいること」が変えられない性質なのだとしたら、そこはそこで甘受しなくてはいけません。
しかし、「人並みに、他人に興味がある人間のふりをできること」が実現可能なら、できればそうありたい。
「人並みに、他人に興味があること」が実現可能なら、もっと喜ばしい。

こういう種類の内面の吐露は、これっきりかもしれませんし、これからも機会があるのかもしれません。
気が向いたら、またやります。

「こういう本を読めば、人間性のエミュレートがうまくいくかもしれないぜ!?」というアドバイスは、受け付けるかもしれません。
「人間に興味がないなら、人間に興味を持てばいいんだよ!」的なアドバイスをいただいた場合、全力でスルーします。
「そんなことはないよ! 今井さんは真人間だよ!」という意見は、「いえいえ」とか言いながら喜ぶと思います。
「やっと気付いたか人格破綻者が!」という意見は、無視します。

できれば人間になりたーい。
(今井士郎)


フィクションの世界、特に少年漫画の「人間味の薄い性格破綻者」キャラは、結構な確率でマトモな性格をゲットするからうらやましいですね。