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キングコング西野氏の「絵本無償化問題」問題点を整理する

今回は、キングコング西野氏の『えんとつ町のプペル』に関する主張です。

私は氏の発言に反感を覚えています。
反感の中身を分解して
「氏の言動のどこが問題なのか」
「氏の言動に対して、今井の怒りに正当性はあるのか」
を考えてみたいと思います。

批判する側の礼儀として、氏のどの言動に対する批判であるのか、適宜リンクを貼り付けます。
しかし、氏の記事のPVに貢献することは本意でないので、本ブログの読者に確認を推奨するものではありません*1


物事を批判する時の『正当性レベル』

好き嫌いでなく「正義」の立場を取って、「あの人は間違ってる!」という主張をするとき、話題によって正当性のレベルが変わると考えています。

まずは、私が本問題を批判することにどれだけの正当性があるか、考えてみます。
現時点で、社会問題を批判する正当性には、主に「当事者性」の観点から、4つのレベルがあると考えています。

1.自身が当事者であり、自身で権利を守らねばならないとき

自分自身が、誰かの暴力に晒されている、謂われなき中傷をされている等、自分で身を守らねばならない場合です。
当事者なのですから、自分の責任で身を守らねばなりません。
自身が正しいと確信するのであれば、それを主張することにためらいはいりません。
(ただし、「確信していた」正当性が覆された場合は、それなりのしっぺ返しを受けます)

2.当事者が多数いて、自身もその中の一人であるとき

政治問題等、議論参加に正当性がある対象に対して、意見を主張する場合です。
ただの悪口を言ったり、すでに尽くされている議論を蒸し返したりすることに注意が必要ですが、意見主張は問題ありません。

3.当事者ではないが、「被害者」が不当な被害を受けていることが確認できる場合。なおかつ、自身の発言で被害者の被害回復に貢献できる場合

ここからは、当事者ではない場合です。
このレベルは、誰も守っていない「被害者」の姿を見て、声をあげるような場合です。
いじめを目の当たりにしたから、当事者ではないけど被害者を守るとか。
ネットで見られる「炎上」では、野次馬が一人増えたところで「被害者の被害回復」にはつながりません。
なので多くの場合、このケースには当たりません。

4.当事者でなく、「被害者」がいるのか/救えるのかも確信できない場合

本当は批判なんかしない方が無難です。
ただ、誰かの言っていることが間違っていると「思う」。
黙っていられないから、批判する。
ともすると、単なる難癖やいじめとなってしまいます。
非常に危険です。

本日の話題

本日の話題の『正当性レベル』は?

残念なことに、本日の話題は、前述の正当性レベルで「3」から「4」の間くらいの話なんですよね。
「自分は当事者ではなく」
「被害者の実在性は証明されておらず」
「本当は、黙っていた方が無難」な話題。

まして、批判対象は「炎上で儲かる」ビジネスモデルを確立しているので、こうして言及する事は、微力ながらも批判対象を応援することになります。

もう、どっちを向いても負け戦が確定済み
今回はそんな記事です。

どんな話題?

お笑いコンビ「キングコング」の西野氏が、クラウドファンディンクで製作した絵本『えんとつ町のプペル』を無料公開した件です。

私は彼の言動が気に入らないので、こうして批判記事を書いています。

どんな経緯?

ざっくりとした経緯は、以下のようなものです。
ネットを漁った結果ですので、明らかな事実誤認の指摘をいただいた場合は、修正します。

キングコング西野氏が、「採算を度外視した」絵本作りのためのクラウドファンディングを開始する。
 ↓
1,000万円の資金が集まる
 ↓
30名以上のクリエイターに外注して、絵本を作成。
「西野氏の作品」として*2絵本を発表。
真偽のほどは分かりませんが、絵本製作に伴う西野氏の支出は450万円程度だったという情報も、ネットには出回っています。
クラウドファンディングの残額は、全て西野氏の手間賃?
 ↓
発売して2ヶ月の時点で、絵本の中身を無料公開。
無料公開に踏み切ることを「金の奴隷解放宣言」と称した。
 ↓
西野氏への批判が噴出中。(絶賛する声もあるようです)

今井は「プペル」問題の何が気に入らないか

参加クリエイターが被害者か、は、よく分からない

不当なピンハネはあったのか

本件の批判として、「多くの人間が参加したのに、西野氏が勝手に絵本の無料公開を決めたのだろう。参加したクリエイターに利益を配分すべきなのに」という意見も見られます。
その点について、私はノーコメントです。
クリエイターの方には、事前の取り決めに従った、ビジネスとして正当な対価が支払われている可能性も高いからです。

とはいえ、「金の奴隷解放宣言」なんて声明を出すなら、「当初の約束」なんて奴隷の鎖にはとらわれず、参加クリエイターに金をばらまくべきだと思いますが。

こういう人の言う「人間味」はなぜかいつも、「余計に金を払う」んではなく「お金を払わない」方にばかり働くんですよね。

クレジットの削除については、クリエイターが「被害者」っぽい

無償公開版では、クレジット(参加クリエイターの名簿)が削除されているという噂を聞き、不本意ながら無償公開版サイトを見てきました。

無償公開サイトの作りは、「物語のテキスト」と「挿し絵」という構成で、およそ「絵本」らしいものではありませんでした。
で、ざっとページの下部までスクロールして、どうやらお話が終わったなというところで、西野氏の写真が出てきました。

え? クレジットは?
一生懸命作ったというクレジットは?
https://m.facebook.com/akihiro.nishino.16/posts/849359131865219

無償版を見る範囲では、一体どのようなクリエイターが関わっているのか、確認することはできませんでした。

名前を伏せることについてクリエイターの了解を取っていないとしたら、背信行為著作権法違反だと思うのですが、そのへんいかがなんでしょう?
普通に、関係者は了承済みなんですかね?

また、前述の通り、無償公開サイトのデザインは「テキスト+挿し絵」の形でした。
おおよそ、絵本の書面デザインからはかけ離れています。
仮に、クリエイターの方々がデザインの編集に関する権限を放棄していないのだとしたら、勝手に絵を切り貼りしたり、文字をカットすることは著作人格権の侵害となります。*3

成功を「まぐれ当たり」と称する時点で、クリエイターへのリスペクトは皆無に思える

私は、ネガティブな人間です。
そして、大学・社会人と、アマチュア演劇をしてきました。
自分がリーダーとしてメンバーを集め、公演を打ったこともあります。

結果的に、自分たちの水準としては満足のいく公演を打てていましたが、準備期間は不安でいっぱいです。
そんなとき、ネットで弱音を吐くことは、徹底的に我慢していました。

代表者が「公演がうまく行くか分からない」「参加メンバーに納得がいかない」などと吹聴することは、自分の呼びかけに応えて集まってくれた人たちの足を引っ張り、侮辱する行為だと感じたからです。

西野氏が音頭を取り、数多くのクリエイターの手で作成した絵本が商業的に大成功、それがまぐれ当たりだと表明することは、「自分を助けてくれた人たちの実力は大したことないのに、運が味方した」という意味です。
私には不愉快でした。

参加メンバーと西野氏の関係がすでに、西野氏の謙遜に彼ら彼女ら巻き込んでいい程度の「身内」なのだとしたら*4、この点も文句を付ける筋合いはないところです。実状は、どうなんでしょうか?

クリエイターは「被害者」か まとめ

西野氏とクリエイターの契約次第では、クリエイターは被害者である可能性があります。
あらかじめ、適切な約束や関係性の構築ができていた場合、クリエイターは被害者ではありません。
端から見ている印象では、クリエイターは被害者であるように思えます。実際のところは、分かりません。
少なくとも、西野氏による関係者へのリスペクトは、感じられませんでした。

流通関係者は被害者か

本が読者に届くまでには、多くの関係者の手が加わります。
一般的には、以下のような経路を通るようですね。

出版社
 ↓
取次会社
 ↓
書店
 ↓
読者

このうち、「書店」から「取次」には、返品がききます。
つまり、絵本の無償化によって物理的な絵本の売り上げが落ちた場合は、以下のような被害者が発生します。

書店

  • 売れなければ返品がきくので、「不良在庫を抱える」という意味での被害は発生しません。
  • 無償化がなければ売れていた分が売れなくなった、という機会損失が発生します。
  • とくに零細書店は、「ようやく配本(在庫の分配)が始まった」ところという話もあります。その場合、「無償化されてから、ようやく絵本が届いた」形になります。直接的な経済的損失を横においても、気分的には面白くないことでしょう。

取次会社

  • 書店で売れ残りが発生した場合、この会社が不良在庫を抱えることになります。
  • その点で、ストレートな「被害者」となる可能性があります。
  • 事前に特段の取り決めがなかった場合、法的にどうこう、と西野氏を訴えるような「被害者」にはならないでしょう。単に、西野氏や出版社との信頼関係にヒビが入るだけです。

出版社

  • さすがに「無償での絵本公開」には納得しているでしょうから、西野氏の「被害者」にはならないと思われます。
  • 今回の件で流通関係者の信頼は失ったでしょうから、その点では無理矢理「被害者」と呼べなくもないかもしれません。

流通関係者は「被害者」か まとめ

流通関係では、利益を逸した書店と、不良在庫を抱えかねない取次会社が、被害者たりえます。
もしも「被害」が深刻なのだとしたら、出版社や西野氏との訴訟問題になるでしょう。
逆にそうならない場合、外野から下手につつかない方が良さそうです。

前提として、「無償公開により、売り上げが上がった」というような事態があれば、ここに挙げている関係者は、被害者でもなんでもないですからね。

ほかに「被害者」はいるのか

ここまで整理してくると、法律に反するレベルで西野氏が「被害を与えた」人はいないことが分かります。
もしもそのような被害者がいれば、放っておいても訴訟が始まるでしょう。

定価で絵本を買ったことで「バカをみた」と感じる消費者だって、西野氏に「信頼を裏切られた」という感覚はあるでしょうが、お金をだまし取られたりという「被害」にあった訳ではありません。

この件の問題は、ひたすら「お金を媒介とするクリエイターと、芸術消費者」が侮辱されたという一点に集約できます。

結局、問題は「お金の奴隷解放宣言」

西野氏は、今回の無償化を「お金の奴隷解放宣言」と称しています。
「全ての事象が対象ではない」としつつも、

「お金が無い人には見せませ-ん」んてナンダ?
糞ダセー。

と発言し、

お金の奴隷解放宣言です。

と、高らかに絵本の無償化を宣言します。

全ては、これなんですよ。

別に、自分の持つ商品を無償にしても、外野が文句を付ける筋合いではないわけです。
しかし彼は、単に手持ちの商品を無償化するだけでは飽きたらず。

  • 金を介した本の取引を「糞ダセー」と評し
  • 金を介した取引を行っている人を「お金の奴隷」と侮蔑している


わけです。
奴隷「解放宣言」ということは、解放されていない人は引き続き「奴隷」な訳ですから、「そのような意図で言ったのではない」という言い訳は通用しませんよ?

そして、結果として、

  • 作品で金を取っている一般クリエイターも
  • 作品に金を払っている消費者も?


「お金の奴隷」で「糞ダセー」人とする記事を公開している訳です。

彼は、「全てがお金から解放されるのは無理だろう」と言っていますが、それはたまたま「理想に至らない」状態で「糞ダセー」状態に甘んじているだけなのです。

こんなことを言っているから、クリエイターや、クリエイターを応援する人々から、猛反発を浴びているのです。

まとめ

  • 西野氏の「絵本無償化」そのものは、強い批判をあびるべきものとは限らない
  • ただし、無償化に際して「有償で作品を取り引きしている人」全てを侮辱したことが大問題である
  • その過程で、絵本作成に関わっていた人の権利も踏みにじっているおそれがある

声優の明坂聡美さんとの議論についても言いたいことがあるので、そちらは別途、記事にしたいと思います。
(今井士郎)

ラーメン発見伝(1) (ビッグコミックス)

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*1:こんな中途半端な但し書きをしなければいけない時点で、最初から「負けてる」記事ですねこれは。

*2:別に、西野氏だけで作ったと発表したわけではなさそうです。代表者として、名前が全面に出ているのが西野氏だというだけで。

*3:西野氏が任意に編集できるような契約になっているとしたら、なんら問題はありません。

*4:西野氏が思っている、だけでは不充分です。各クリエイターとの相互認識の話です。