アニメ鑑賞は、2期連続の『亜人』関連
お正月も終わり、今クールのアニメ放映が始まりました。前クールで一番楽しみにしていた作品は、『亜人』です。
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2016/08/10
- メディア: Blu-ray
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殺しても生き返る人間、「亜人」。
そんな亜人のテロリストたちと、テロリストと戦う人間たち。
そして、テロを押さえようと奮闘する亜人勢力が戦う物語でした。
そして今期。
今期の『亜人』が放映開始されました。
『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』です。
公式サイト
前期の『亜人』は、バンバン人が死んでいく作品でした。
今期の『亜人(デミ)ちゃん』は、私の大好物「超常系日常コメディ」です。
かわいい女の子が、ほのぼのと日常を送っています。
女の子たちは亜人(デミ・ヒューマン)ですけど。
以前書いた紹介記事はこちら。
『亜人ちゃん』展開に感じた違和感
この『亜人ちゃん』、なんだか展開への力の入れようがすごいです。- アニメ放映直前に、声優出演による番宣特番を放送
- 掲載紙(マガジンサード)の最新号は、亜人ちゃんアニメ開始記念に「103(デミ)」円に値下げして発売
- 全国のアニメイトを、キャラクターの等身大フィギュアが回るツアーが開催中
なんで、ここまで力が入っているんだ? と違和感を覚えました。
詰まるところが「売れているから」「アニメも売れると見込まれているから」という、面白くない結論になってしまうのでしょうが。
そんな時に、
この作品は、教育的にも「正しい」、大義名分をうたえる作品だからというのも、猛プッシュの理由なんではないかな、と思い立ちました。
『亜人ちゃん』はいかに、「教育的に正しい」か
亜人の特異性と不便
作中における「亜人(デミ)」とは、「特異体質を持った人間」です。特異体質をもち、「神話やおとぎ話のモチーフにもなってきた」ような人間。
別に「亜人の一族」が存在する訳ではなく、普通の家系に、突発的に生まれてきます。
「バンパイア」は、日光や暑さに弱く*1、貧血を起こしやすい人間です。血液を飲む欲求はありますが、生命維持に不可欠という訳ではありません。
「雪女」は、やはり暑さに弱く、負の感情に呼応して冷気を発する体質の持ち主。
この辺は、普通に暮らしていると普通の人間と見分けがつきません。
亜人生徒3人娘の中で異彩を放っているのが、「デュラハン」の町 京子。
なにせ、頭がない人間です。
この頭は、着脱式じゃありません。
常に胴体から離れています。
そして、「不思議な力」で頭が中に浮いたりもしません。
頭が動くには、何らかの方法で「運搬」する必要があります。
授業中は、首から下が普通に着席し、頭は机の上のクッションに置かれているという、異様な光景。
アニメで新規追加された表現で、「首を振る(否定のジェスチャー)」ために、「自分で頭を持ち上げて、左右に回す」というシーンがありました。
面倒くさい。
普通だったら何気なくしてしまう「首を振る」が、この子にとっては両手を動員して行う作業なのです。
原作では「友達づきあいの仕方に困っている」という京子本人の説明があっただけでしたが、アニメでは、こんな描写が追加されました。
- デュラハン体質の話に触れそうになると、クラスメイトが気を使って話を逸らす
- 京子本人は、それを寂しく思っている
- 物怖じしない、そして当人も亜人(バンパイア)である、ひかりによって、体質の話に踏み込まれて話が弾む
- ひかりが体質の話を始めた際、クラス中が息を飲む
とても納得感のある描写でした。
手足があるのが世の中の「普通」であり、そのいずれかが欠けている人には、(悪意や差別意識があろうとなかろうと)何らかの反応を返してしまうのが、「健常者」の「普通」だと思います。
デュラハンとは、手足ではなく「首(頭と胴体の連結をするパーツ)」がない、ちょっとした障害者なのです。
彼ら彼女らへの「正しい」接し方とは
身体障害者等の、なにか「特別」な要素を持つ人と接するとき、理想はこんな感じかなと思います。- 敬意を持って接すること。悪意や差別意識はもたないこと。やむを得ずそんな意識を抱いてしまっても、表には出さないこと
- 必要なシーン以外では、相手が有利な方にも「特別扱い」しないこと
- 「特別」な部分に関する言動で、不快感を与えないこと
前述のひかりの行動は、上記の全てを満たしています。
逆に接し方を失敗したのが、亜人に興味がある男性教諭、高橋先生。
赴任してきたサキュバス女教師・佐藤先生に握手を求め、めいっぱい拒否、警戒されてしまいました。*2
高橋先生の場合、前述の1には当てはまりません。
2に当てはまるかは微妙なとこだと思いますが、3には当てはまってしまいました。
難しいですね。
……とはいえ、女性に対して男性が握手を求めるのは、普通人相手でもマナー違反でしょう、高橋先生よォ……。
結論
以上から私が言いたいのは、『亜人ちゃんは語りたい』が、社会的マイノリティに接するモデルとなり得るということです。彼女らの体質は、そこまで深刻な特殊体質ではない。
さらに、非実在の特殊体質だから、描写を失敗しても、実際のマイノリティが傷つく可能性は低い。
これらの性質から、実在のマイノリティをそのまま描写する作品では不可能な「教育的」描写が可能なのではないかと思うのです。
ただし、時折「女性へのセクハラ」と捉えることが可能な行動は描写されます。
そこが鼻についたら、視聴はやめておいた方がいいかもしれません。
余談 アニメ版の感想
原作の1エピソードは短いですから、結構アニメオリジナルの描写が挟まれています。個々の描写に説得力はあるんですが、どうしても原作よりテンポが悪くなる。
これを「退屈」と感じさせなければ、原作既読者も大喜びの作品になる可能性があります。
期待して視聴しようと思います。
(今井士郎)