2回目は、満喫しました
『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』の二度目を観てきました。
テレビシリーズは存在を知っていたものの観ておらず、「テレビ版未視聴でも観るべき!!」と強く勧めるツイートをいくつも目にしたため、6月に物は試しと観に行ったのですが……。
劇場版レヴュースタァライト、「TV版未視聴の人もすごかったと言ってる」というツイートが流れてきましたので、「TV版未視聴で行ったら、割と苦痛でした」という証言をしておきます。
— 今井士郎 (@shiroimai) 2021年7月8日
はい、「ぽかーん」でした。
一つ一つの構図が綺麗だとは感じても、「物語」としての楽しさがどこにあるのかが、全然分からない。
「テレビ版未視聴でも楽しい」と言っている人は、映画の魅力として「画像としての美しさ」「音楽の美しさ」を重視して、「物語としての魅力」を相当に軽視している人だったのだと思います。
その後、Youtubeでの全話無料公開*1でテレビシリーズを全話見ることができました。
そちらは素直に楽しめたので、先ほど映画館に再突入。
やっと、ファンの方々が言っている魅力を摂取することができました。
映画だけを初めて観たときと、テレビシリーズを見てから映画を観直したとき、なにが違ったのかな、という考えをまとめてみます。
映画版単体、何が不満だったのか
あらゆる描写の「価値」が分からなかった
映画版初見では、登場人物の行動や、劇中で発生する現象の「価値」が全然分かりませんでした。
一般的な物語は、劇中の行動や現象の「価値」を捉えながら鑑賞します。
登場人物は、何をどうしたいのか。作品としては、何がどうあるべきとしているのか。
映画版をいきなり観ると、訳が分からないんですよ。
「オーディション」が何をもたらす物か分からない
映画版では、導入部の登場人物顔見せのあと、「オーディション」なる概念が紹介されます*2。作品の中身は知らなくても、制服に身を包んだ女の子が戦う作品らしいことは知っていたので、そのバトルが「オーディション」なのだな、と推測することはできました。
そして、「オーディションではない」何かである『ワイルドスクリーンバロック』が開演します。電車が変形して、殺し合い?が始まって。
そこまでは、着いていけました。
なんで、戦いが終わった後(当日の夜?)の卒業公演決起集会では、みんなピンピンしてるの?
あの勝負?は、勝者と敗者に、一体何をもたらす物だったの?
???
テレビシリーズ視聴後は、ある程度雰囲気が掴めました。
「オーディション」の一つ一つで勝敗が付いても、それは「○日目」の終了であって、外傷も決定的な喪失も、わだかまりも残さないものなのだ、と説明する描写があったからです。
『ワイルドスクリーンバロック』が何なのかは分かりませんが、「オーディション」の流れを汲むものならば、戦闘の後遺症や決定的な対立を残さないことも納得できました。
「オーディション」空間で起きていることが分からない
これはまぁ、「気にするだけ野暮かな」とも思うのですが。
『ワイルドスクリーンバロック』の空間って、魔法みたいになんでもアリじゃないですか。
そのくせ、「舞台装置によって構成されている」という設定もしつこく提示されているから、できること・できないことが全く分からず、ストレスでした。
後からテレビ版の「オーディション」を見て意外だったのは、最終戦を除いて舞台が固定されていたことです。電車が舞台装置に化けるのは、映画版ならではのギミックだったのですね。
テレビ版で、地下空間に固定された舞台を何度も見て、最終戦でスケールアップした謎空間を見て。その後で映画版を見たときは、大がかりすぎる舞台装置がくるくる変わる『ワイルドスクリーンバロック』空間も違和感なく観ることができました。
趣味のレベルではありますが、舞台に関わったことのある人間としては、「割れる」「落ちる」「高いところを演者が飛び回る」描写には「危険過ぎる!」という脳内ツッコミが止まりませんでしたが、そこはまぁ、それこそ言うだけ野暮ということで。
……照明や、照明の部品が落ちてくるって、ものすごく恐いんですよ?(実体験)
人間関係が分からない
これが致命的でした。
テレビ版の「オーディション」は、「相手のボタンを切り落として上掛けを落とす」という、一種の競技性があるものでした。
しかし、私がいきなり観た映画版では、ボタンを切り落としても勝負が付かなかった*3り、上掛けを落とされた側に負けたっぽい雰囲気がなく別れた*4り、「何が起きているのか、全く分からない」。
要は、勝敗が大事な「競技」をしているのではなく、「感情のぶつけ合い」をして、絆を深めたり未来を見いだしたりすること自体が、登場人物の『目的』なんですよね。
……それ、登場人物の性格や人間関係が分かってないと、全然良さが理解できませんから。
初見で分かったのは、「真矢が不動のトップ、クロディーヌがナンバーツーというライバル関係があった」という部分のみ。
残りのパート、特に、ひかり・まひる戦の箇所は、二人の因縁が分からないので、完全に意味不明でした。
テレビ版を見てからだと、やりとりにすっきりと納得がいきました。
双葉・香子戦で、双葉が「送り迎えをして」「駄菓子を買って」きたとか、クロディーヌが「割り込んだ」と責められるといった関係性、映画版だけで理解しろというのは無理な話です。
まひるは、あのくらいひかりをイジメる権利があると思います。
テレビ版序盤での、華恋からのまひるの無視されっぷりは、見てて痛々しかったですもの……。
好意のストロークを受けたら、何かのリアクションをしてあげてよ……。
テレビ版・映画版通して、まひる戦の雰囲気は大好きですね。ネジが外れたヤンデレ美少女と、ユルいくせに不気味な書き割りキャラの雰囲気、とても良い。
映画版の糾弾モードも悪くないですが、テレビ版のニコニコと乱暴してくるシーンの方が、可愛いし恐いし好きでした。
映画版ではオリンピックが題材になってましたが、今日からのオリンピック、どうなるのだろう……。
2回目、観ておいてよかった
そんなわけで、2回目を観ておいて良かったです。
『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』という作品の評価が、「絶賛されていたがつまらなかった。自分の見方のせいかもしれないし、作品のせいかもしれない」というものから、「ちゃんと華やかで楽しい作品だった」というものに変わりました。
一部ファンの方が「テレビ版未視聴でも面白いから観るべき」と強く勧めていらっしゃるのには、反対する立場です。
テレビ版未視聴で行くなら、それなりの覚悟を決めていきましょう。
(今井士郎)